辻仁成さんは、2002年に当時、人気絶頂だった中山美穂さんと電撃結婚し、
世間を驚かせました。翌年の2003年から拠点をフランスに移しています。
2004年1月に長男を出産しましたが、2014年に離婚しています。
現在は、息子を育てるシングルファーザーとして、パリとノルマンディーの
2拠点生活を送っている辻仁成さんですが、多才な人で収入源も多いので
年収について調べてみました。
また、若い頃の画像と比較しながら、どのような変化を遂げられたのか、
そのユニークな「人となり」にも迫ってみたいと思います。
辻仁成さんの現在の年収はどのくらい?
辻仁成さんは、1990年代から2000年代にかけて小説のヒット、音楽活動、
映画監督など、マルチな活躍で複数の収入源から年収3億円以上と報じられ
ていました。
現在はどうなのでしょうか?
年収について具体的な数字は公にされていませんので、正確な年収を知る
ことは難しいですが、辻仁成さんの現在の収入源を考慮すると、以下の要素が
含まれると考えられます。
1.書籍の印税
ベストセラー作家として、多くの書籍を出版しています。
印税率は通常10%前後とされ、ベストセラーの場合はかなりの収入になる事が
予測されます。
現在はWEBマガジン「Design Stories」の編集長として情報発信をしています
ので、固定収入の柱のひとつとして考えられます。
2.映画・脚本の制作
かつては、映画監督としての活動もあり、映画制作や脚本提供から収入も
ありました。
映画監督としては、現在までに10作品を制作しベルリン映画祭、ベネチア
映画祭などに正式に招待されています。
3.音楽活動
2023年5月29日にパリのオランピア劇場で単独公演を行い、大喝采を浴びて
大成功を収めました。
2024年、「JINSEI TSUJI ワールドツアー」はロンドンを皮切りにパリ、
リヨンで開催し、夏には日本公演で東京、大阪、9月末にはコルシカ島で
開催するなど、世界各地でライブ活動を継続中です。
コンサート収入や音楽配信・印税等も大きく見込まれます。
4.メディア出演や講演・文化外交・芸術活動
月3回日本向けラジオの生放送、You Tubeチャンネル「Tsuji【2G】」の
運営(登録者数3,430万人)、オンラインコミュニティー「ツツジビル」の
運営も収入の柱です。
文化外交としては、2021年にフランス観光親善大使に任命されています。
また、2024年の「Re BORDEAUXグランド・アンバサダー」に任命され、自身が
運営するWEBマガジンでボルドーワインの魅力をPRしています。
芸術活動としては、2024年2月~3月にかけて伊勢丹新宿店のアートギャラリーで
初の絵画個展を開催し、話題を集めました。
テレビ、ラジオ、イベント出演料や講演料、大使活動なども収入源となるでしょう。
これらを総合すると、
2024年現在は、多岐に渡る収入源から年収は約5千万円~1億円を推移するのでは
ないかと推定します。
ただし、具体的な金額は、辻仁成さんの活動状況や成功度に大きく依存します。
辻仁成さんの若い頃の画像と昨今の画像を比較してみた!
左端は20歳の頃。隣の写真が、1985年にロックバンド「ECHES」のボーカリストと
してデビューした24~25歳の頃です。
次の写真は、1989年、30歳の誕生日の翌日に「ピアニシモ」ですばる
文学賞を受賞し、作家デビューを果たした頃のものです。
右端が、38歳の頃で、芥川賞受賞前後の写真です。
だんだん、「作家顔」に変わってきていますね。
「顔」の変遷はまだ続きます。
写真は、撮影の時期と若干ズレはありますが、
辻仁成さんが中山美穂さんと結婚したのが、2002年(左写真)で43歳の頃、
離婚したのは2014年(右写真)で、55歳の頃です。
12年間の結婚生活の中で、辻仁成さんの見た目は大きく変わってきていますね。
辻仁成さんは、2008年「ZAMZA」というバンドを結成した頃から、
「時代は絶対、中性ですよ。めちゃかっこいい中性的なおじいさんを
目指す!」と語り、美に目覚めたようです。
髪をサラサラにしてロングヘアにしたり、ファッションも中性的なものを
好むようになり、外見が著しく変化しました。
2014年の夕刊フジの記事を見つけましたので、貼り付けておきます。
さらさらの黒髪ロングストレートに、化粧を施し、女装して繁華街を歩くこと
もあるという。2011年には、女装男子を描いた小説『ぼくから遠く離れて』
(幻冬舎)も上梓している。
引用元:2014.04.06 ZAKZAKby夕刊フジ
夜は控えめに食べ、深酒もせず、基本的に朝食抜き。水は1日コップ1杯。昼食
にはワインを飲み、よく食べる。1日1食がベスト。また、52~55kgの体重を
維持するために毎朝5~10km走る。風呂上がりなどに、鏡で全身チェックし、
醜い自分を決して許さない。体重計には1日3回乗るという。
引用元:2014.04.06 ZAKZAKby夕刊フジ
異能の芸術家で我が道を行く辻仁成さんに、当時の中山美穂さんはかなり困惑
していたそうですが、辻仁成さんは自分を曲げることはなかったとのことです。
離婚後は、一人息子を育てるために「おいしいごはん作り」に熱中したようで、
フツーの「父ちゃん」として大奮闘している様子が自身のWEBマガジンや
You Tubeなどから伝わってきます。
辻仁成さんのプロフィール
本名 辻仁成(つじひとなり)
生まれ 1959年10月4日(65歳)
出身地 東京都南多摩郡日野町(現日野市)に生まれる
学歴 北海道函館西高等学校
成城大学経済学部中退
職業 作家・ミュージシャン
デビュー作 『ピアニシモ』(1989年)
代表作 『海峡の光』(1997年)
『白仏』(1997年)
『冷静と情熱のあいだ』(1999年)
『サヨナラツイカ』(2001年)
主な受賞歴 すばる文学賞(1989年)
芥川龍之介賞(1997年)
フェミナ賞外国小説賞(1999年)
配偶者 一般人(カメラマン)(1979年)
南 果歩(1995年~2000年)
中山美穂 (2002年~2014年)
子供 南 依岐(画家)
辻 十斗(ミュージシャン)
ほか1男
(引用元:ウイキペディア)
辻仁成さんの家系について
辻仁成さんの実家は福岡県福岡市にあります。
父・辻信一さんは、地主の家系で、大手損保会社のエリート社員でした。
少年期は父親の転勤で、福岡県、北海道と各地を転々としました。
母・辻恭子さんの祖父・今村豊さんは、地元の名士で今村製鉄所の社長
でした。
辻仁成さんの著書『白仏〛は祖父をモデルにした実話で、フランス語翻訳版
『Le Bouddha blanc』で仏フェミナ賞・外国小説賞を日本人として、初めて
受賞しました。
著作はフランス、ドイツ、スペイン、イタリア、韓国、中国をはじめ世界各国
で翻訳されています。
また、才能溢れる母・辻恭子さんの影響で、辻仁成さんは料理研究にも熱心に
取組み、多数の料理本とYou Tubeで料理番組も運営し、人気を博しています。
2024年10月4日は、辻仁成さんの誕生日でした。
自身のWEBマガジンで次のように決意を語っています。
ついに65歳になった。高齢者決定である。四捨五入すると70歳なのだ。
~~中略~~
残りの時間がどれくらいあるか、わからないが、生きている間に、3000枚の
絵と、大長編小説を10作品程度、残したい。
生きていることを、創作にささげる。
それが、今日の、ぼくの皆さんにお伝えしたい、65歳の男の「決意」である。
引用元:Design Stories
人生100年時代、65歳はまだまだ老境ではありません。
多才な辻仁成さんなら、年齢を超えた新しい扉が開くことでしょう!
3000枚の絵と大長編小説に期待しております。
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